明けない夜はないとか簡単なことを言うな

大学の合格通知を持って逃げるように実家を出た。

お金はないけど、奨学金も借りたしなんとかなると思っていた。

食費を削ればいい、交際費を削ればいいと思っていた。

しかし大学に入ると、勉強にも初めての一人暮らしにも途方もなくお金がかかることを知る。

生きているだけでお金がかかることを知る。

大学4年間、ありがたいことに授業料はずっと全額免除だった。

勉強でかかるのは教科書代や文房具代など。

本を一冊買うだけでも、大学の教科書は数千円した。学期の初めにはそれを何冊も買わないといけないこともあった。

でも、自分は勉強をしに大学に来たんだという気持ちが強く、書籍はお金に糸目をつけずに買っていた。積読も合わせると自宅にあるものだけで200冊は超えていた。

大学で自然科学を学びながら、休暇中には社会科学の勉強をし、大学卒業後は社会科学が学べる大学院に入学した。

またお金がかかる。入学金。授業料。

でも未熟な自分の中には、まだ他責の思考があった。

「勉強に逃げるしかなかったんだ」「進学以外に実家から逃げる方法はなかったんだ」と言い訳しながら、自分が貧しいということを考えないようにして東京で暮らし始めた。

友達が誕生日ならプレゼントを買い、行ったことのない外食店でご飯を食べ、相変わらず書籍費のこととなると頭のネジが一つ外れてしまっていた。

大学院に入学して2回目の授業料引き落としと免除願申請のお知らせが来た。

この手続きももう5年目だった。

いつものように母に連絡し、非課税証明書や住民票などを送ってもらい申請した。

申請から数ヶ月経った冬の日、たしかお正月だったと思う。私は実家の新潟に帰省していた。同棲相手が、大学から封筒が届いたことを連絡してくれた。

中を開けてもらうよう頼むと、そこには"不許可"の三文字があったと伝えられた。

自分の家の貧困さを恨んだ。

大学は無慈悲だと泣いた。

多子世帯で非課税で片親のうちよりも貧乏な家がこの大学に本当にあるのかと、結果通知を受け入れられなかった。

それでも引き落とし日はやってくる。

32万円を当時の交際相手に借りた。

すでに彼からは引っ越し等の費用も合わせて数十万円を借りていた。

国から教育ローンを借りるからといって立て替えてもらうということで借りた。

彼との関係はその時点でもう終わっていたのかもしれない。

国の教育ローンは本来、親が申請するものだ。

しかし親は申請の仕方が分からないといい、私に任せてきた。

しかし書類の手続きは煩雑で、結局一年経った今も申請はできていない。最低な自分に罵倒を浴びせてほしい。

お金を作るためにバイトを増やした。お金を借りている引け目で同棲している家は窮屈に感じた。バイトを増やしたら家事に時間が割けなくなり、余計に家に居にくくなった。

夏頃にはまた次の授業料免除申請結果が届く。不許可だった場合に備えて、フリーターと同じくらいバイトをした。体重は6キロ落ち、生理は三ヶ月来なかった。

結果はまたしても不許可だった。バイト代も、以前の倍程度にはなったが結果的に授業料を払えるほどではなく、彼に生活費の借金をしなくて済む程度、日々の生活が少しだけ潤う程度だった。まさに砂漠に水だった。

その夏も授業料を借り、借金額は100万円を超えていた。

もう家にはいられなかった。

ふと母のことを思い出した。

再婚相手は当時家の中で唯一の稼ぎ頭だったが腰を悪くし、休職した。

母にとっての義母は自営業をしており、同じ家に住んでいたにもかかわらず全く我々にお金を渡してくれたり、貸してくれたりはしなかった。

姑問題、金銭問題が絡み、母は二度目の離婚をした。

(結局ママと同じ道を辿るんだな...)と思いながら、同棲を解消した。

大学から一駅のところに家を借りた。

当時、メンタルは最悪だった。毎日泣いていたし、意味も分からず頭痛と吐き気がした。

就活はもういいやと途中から諦めていたし、修論も、もうなにもできなかった。

自分の人生が一旦終わる音が聞こえた。

それでもバイトの予定は入っているし、秋学期が始まってゼミも再開した。

なんとか体を動かさないといけなかった。

重い腰を上げて毎日外に出るも、バイト中に泣いてしまったり、お酒に逃げたりした。家に帰ってまた泣いて、新しくできた好きな人に依存した。

心療内科に通い始めて、薬をもらった。

そこから三ヶ月、生活はグラグラだったしメンタルも安定しないけど、これが今の本当の自分なんだなとも思った。

以前の交際相手は一回り年上で、お金もあって、メンタルも経済状況も様々な面で安定している彼と一緒にいることで、自分も何か安定しているような気持ちになっていた。

彼と会う前の自分を5年ぶりに思い出した。

毎日音楽を聴いて泣いていたし、こうしてブログに何か気持ちをぶつけてすっきりしたような気持ちになっていた。友達と長電話したり勉強に没頭したりしていた。貧しいことや自分が弱い存在であることは考えないようにしていた。考えてしまうのはPMSの時だけだった。

今の自分は、24歳の、まだ社会を全然知らない、芋虫みたいな人間だ。

人に会わないと寂しいし、毎日勉強しないと不安になるし、薬も何種類も飲むし、音楽やラジオをやめられない。

芋虫のメンタルが、本当に少しずつだけど安定し始めた。なぜかは分からない。通院のおかげかもしれないし、進路に諦めがついたからかもしれないし、引っ越したからかもしれない。新しい好きな人と上手くいき始めたからかもしれない。うん、これが一番大きいのかもしれない。喧嘩もあまりしなくなったし。

芋虫は少しだけ前を向けるようになった。前を向くといっても、何かを延滞していてごめんなさいと言えるようになったとか、この書類を早めに出すように頑張りますと連絡できたとか、そういうレベルの話だけど。

バイトを一つやめた。

自分の生活がどうなるかは分からなくて不安だけど、就活も修論も迫っているのだから仕方ない。

でも、もう少しだけでも母に危機感を持ってほしくて、私が困っていることを理解してほしくて、少し電話の頻度を増やしたりLINEをしたりした。

授業料免除不許可の封筒が届いたお正月から一年が経った。

もう彼にはお金を借りられないので、自分で銀行のローンを申請して授業料を払った。

母にその旨を伝えると、弟の学費もあるし私も借りるよと言ってくれた。

先月、1年ぶりに実家に帰り、母は銀行のローンを申請した。

先週、その結果が来た。

結果は不許可だった。

非課税世帯に該当するほどの低収入ではローンは組めないらしい。

貧乏人は勉強をするなってことかなあと思った。

生活保護を受けようかとも考えた。

調べたが、大学生は生活保護を受けられないらしい。大学在学中は生活保護を受けられないらしい。

やはり、貧乏人に勉強は贅沢らしい。

この気持ちは誰なら理解してくれるのか、分からなかった。

今の好きな人には、「進学の選択をしたのは自分だろう」と言われた。

「辛いことを言うようだけど、大学に行こうと決めたのも、大学院に行こうと決めたのも自分だろう。それでお金を払えなくて彼氏にお金を借りようと決めたのも自分だろう」というようなことを言われた。

私は正直、今ここで私にとって辛いことを言う必要はあるのか?と何度も思った。

こんなに辛い思いをすでにしているのに、なぜそんなデリカシーのないことを言えるのか分からなかった。

高卒で就職したほうがよかったのかとも思い、何日もこの言葉を思い出しては泣いて吐いた。

今も、この文章を書きながら泣いている。

母は銀行のローン申請が不許可になったから、今度は県の教育ローンを申請してくれたらしい。その電話が今日来た。母は謝っていた。

「大学に行くのも大学院に行くのも、正直うちはこんなにお金がないのになんで?と思ったこともあったけど、大学に行ってほしい気持ちはママにもあったし、そっちでたくさん勉強できて、やりたいことやれて、あなたは正解だったね」と言われた。

でも、この前、こんな心ないこと言われたんだよと伝えると、

「そんな人とは関わらなきゃいいよ。そんな相談はしないほうがいい。自分を支えてくれる人、自分を分かってくれる人とだけいた方がいいよ」

と言われた。

母は私が高3の頃、もう間もなく国立大学の前期試験だという時の模試がE判定だった時、

「あなたの受験は失敗だね」

と言った。

そこから考えが少しは変わったということだろうか。

マックでバイトしながら浪人して東大に行きなさいと言っていた頃から、意見は変わったのだろうか。

そんな母の発言が頭の中をかすめながら、母は、

「明けない夜はないよ。つらいのは今だけだよ。」

と言ってくれた。

実家から出たかった中高6年間、院試の勉強と学部の勉強でいっぱいいっぱいだった学部4年間、入学早々毎日毎日何時間もグループワークと課題に押しつぶされそうになり2~3時間の睡眠を1年間続け、何度も高熱を出した修士1年、借金とうつ病で毎日がグレーだった修士2年。

そんなことを言い出したら私の人生はずっと夜なのだが...と思ったが、一方で、チャート式数学が楽しかったり、深夜のロイホで「同級生よりずっと勉強しているぞ」と思いながらミクロ経済を勉強したり、好きな人とベッドでゲームをしたり。夜の中にも、たまにはロウソクかなにかで少しだけ周りが明るくなる時はあるなと思った。

今まで走り続けてきたし、これからも走り続けるんだと思う。

夜が明けることに期待したら、明けなかった時に悲しい。自分はそういう人間だ。

明けないかもしれないけど、いつ明けるかも分からないんだし、明けないなら明けないなりに、自分の生活をロウソクで灯すことのできる瞬間を増やそうと思った。

こんな文章を書いたってお金は増えないし、家は引っ越しの荷物が片付かないままだし、実家は非課税のままだし、内定はもらえないし、修論は進まないけど。

自分の人生は自分でどうにかできるんだという気持ちを持って、うつ症状が出てしまったら鬱という存在に怒るくらいの気概で、自分の夜を少しでも明るくする活動を続けていこうと思う。